元寇防塁のその後 弘安の役の後も元は日本征服をあきらめなかったため、鎌倉幕府も防衛体制をゆるめることができなかった。 博多湾の元寇防塁はその後も増築・補修が続けられ、鎌倉幕府滅亡後も建武政権、室町幕府によって修復が加え…
元寇防塁のその後

元寇防塁のその後 弘安の役の後も元は日本征服をあきらめなかったため、鎌倉幕府も防衛体制をゆるめることができなかった。 博多湾の元寇防塁はその後も増築・補修が続けられ、鎌倉幕府滅亡後も建武政権、室町幕府によって修復が加え…
元寇防塁はどのように造られたのか? 鎌倉幕府は九州各国の御家人らに対して博多湾岸に防塁を築造するように命じた。築造は国別に以下のように分担地区が割り当てられた。 今 津 3km 日向・大隅 今 宿 2.2km 豊前 …
元寇防塁が造られた理由 第一回目の蒙古軍襲来(文永の役)において、日本軍は蒙古軍に易々と上陸を許し、内陸を蹂躙された。この苦い経験から幕府は九州各国の御家人らに対して石を積み上げて造る防壁の築造を命じた。 当時これを石築…
元寇防塁とは? 文永11(1274)年に蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府が、元の再度の襲来に備えて、1276年3月から約半年間で、博多湾の海岸線約20キロ(西の今津から東の香椎まで)に九州九ヶ国の御家人に命じて築かせた石造りの…
元寇防塁を訪ねる 「其の一 : 元寇防塁とは?」 「其の二 : 元寇防塁が造られた理由」 「其の三 : 元寇防塁はどのように造られたのか?」 「其の四 : 各地に残る元寇防塁」 「其の五 : 元寇防塁のその後」…
即身仏に関するあれこれ(コラム) 「其の一 : 日本に即身仏は全部で何体あるのか?」 「其の二 : 日本に現存する即身仏を全部見た人はいない!?」 「其の三 : 即身仏と即身成仏と弘法大師・空海について」 「其の…
日本の即身仏研究の第一人者である松本昭先生 思うところがあり、今日本日(2017年9月28日)、日本の即身仏研究の第一人者で「日本のミイラ仏」という著書もある松本昭先生のお宅に10数年ぶり?にお電話をさせていただいた。 …
色々あって今日から元の木阿弥状態に。 いや、ホームページの移転を進めている現状を考えるとマイナス以下からの再出発だな。 はぁ~、今年に入ってから記事の寄稿先が2件なくなってしまったのはかなり痛い。 何か今までとは全然違う…
私が所有している即身仏・ミイラに関する書籍 書名 著者 出版社 出版年 日本のミイラ仏をたずねて 土方正志 晶文社 1996年 日本のミイラ仏信仰 内藤正敏 法蔵館 1999年 湯殿山と即身仏 畠山弘 2001年 増…
十数年前に仙台に住んでいた時に一番のペーペーだった私は、当時一番エラかった23歳年上のおじさんと仲良くさせていただいていた。 共に歴史好き、温泉好き、混浴好き…。 そんな共通点から立場も世代も超えて何度も何度も旅行に行っ…