元寇防塁とは?
文永11(1274)年に蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府が、元の再度の襲来に備えて、1276年3月から約半年間で、博多湾の海岸線約20キロ(西の今津から東の香椎まで)に九州九ヶ国の御家人に命じて築かせた石造りの防塁のこと。(当時は石築地と呼ばれていた)これを元寇防塁と呼ぶ。
これは元軍の上陸を防ぐための防衛施設であり、九州各国はその分担地区の警備を受け持った。弘安の役では元寇防塁が日本軍の重要な防衛拠点となり、この元寇防塁や鎌倉武士の元船への攻撃に阻まれ、元軍は文永の役の時と違って、博多に上陸することができなかった。
元寇防塁位置図
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