​元寇防塁が造られた理由




元寇防塁が造られた理由

第一回目の蒙古軍襲来(文永の役)において、日本軍は蒙古軍に易々と上陸を許し、内陸を蹂躙された。この苦い経験から幕府は九州各国の御家人らに対して石を積み上げて造る防壁の築造を命じた。

当時これを石築地と称した。高さ約1m~3mで、幅約1m~2mに石を積んだ防塁は蒙古軍上陸が予想される博多湾に沿い、総延長約20キロにまで及んだ。

八幡愚童記には弘安の役における防塁の様子が次のように記述されている。「もとより海ばたには石築地を、面は急に一丈より高く、此方はのべ(なだらか)にして、馬に乗りながら馳せのぼり、賊船を見おろして、下げ矢に射るようにこしらえたり」

石築地は海側が蒙古軍の騎兵団を阻めるよう、およそ2mの高さの絶壁で内側は馬で駆け登り蒙古軍を見下ろせるよう、緩やかな傾斜になっていたという。

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