中浜小学校(東日本大震災の震災遺構)




旧中浜小学校

中浜小学校の校舎は、海から数百メートルの位置にある。

東日本大震災の地震直後に職員室のテレビに映った津波予想到達時刻はわずか10分後だった。

内陸へ向かって1.5キロ先にある二次避難所の坂元中学校までは低学年の子供の足で20分以上かかるため、坂元中学校への避難を断念。

校長先生の判断で、児童と職員、保護者、町職員、地区民合わせて90名が屋上に避難して津波の直撃を回避、被害を逃れた。

しかしながら津波により鉄筋2階の校舎はほぼ水没、また、小学校の周りの建物はほとんどが流失、津波が去ったあとの学校は陸の孤島と化した。

気温がぐんぐんと下がり、水も食料もない中で、一夜を屋上の屋根裏倉庫で過ごしたが、翌朝、自衛隊のヘリコプターによって発見され『全員無事に救助された』とのことである。

尚、現在の中浜小学校は大津波によりすべて流されて何もなくなってしまい、荒れ果てて「まったくもって無機質で希望が見出せない見渡す限り何もないどこまでも続く荒野」のような景観の中、あの日のまま「校舎だけ」が取り残されたようにポツンと佇むように建っている。

その姿は訪ねた者の心に得も言われぬ何か大きなものを訴え掛けているかのような強烈なインパクトがある。

校舎に入ることはできないものの、校舎の周りは立ち入りが禁止されているわけではないため、津波による被害状況をマジマジと目にすることができる。玄関の前では中浜小学校の石碑が折れて倒れたままの状態になっていて、それを目の当たりにすると『どーん』とでっかい衝撃を受ける。

所在地→宮城県山元町坂元字久根22-2

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