大地震により一夜にして埋没してしまった幻の帰雲城とは?




大地震による大崩落で一夜にして埋没してしまった『幻の帰雲城』

帰雲城趾。あの世界遺産の合掌造りの集落で有名な岐阜県の白川郷にある。

帰雲城趾の石碑がある後ろの山の名は帰雲山という。

「流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰る」という。

帰雲山は天正13(1585)年旧11月29日の夜に起こった大地震により大崩壊が起こり、この地にあった帰雲城とその城下町は一夜にして埋没・消滅し、時の城主・内ヶ島氏理を含む数百人が一瞬にして生き埋めになったとされる。

~帰雲山の大崩落現場~

尚、埋没前の帰雲城の所在地については正確な位置が判明してなく、庄川の右岸にあったのか、左岸にあったのかさえもわかっていないという。

帰雲城趾の石碑は地勢・堆積土砂等から推定・推測した場所に建てられているものであり、今となっては帰雲城主であった内ヶ島氏の出自・系譜なども諸説があって正確なことがわかっていない上に、埋没前の帰雲城の所在地も正確な位置が判明していないことなどから現在では「幻の帰雲城」と言われている。

このように残っているものは何一つとしてないが、内ヶ島氏の領内には金山があったことから帰雲城には大量の金銀財宝も一緒に埋まっているとの埋蔵金伝説が実しやかに語り継がれていてロマンをかき立てられるものがある。

所在地→岐阜県大野郡白川村保木脇

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