大地震により城が崩壊し城主が圧死して廃城となった木舟城




大地震により城が崩壊し城主が圧死して廃城となった木舟城

天正大地震により、一夜にして埋没・消滅したお城としては白川郷の帰雲城が有名です。

大地震により一夜にして埋没してしまった幻の帰雲城とは?

しかしながら、知名度こそ低いものの、実は越中(現富山県)にも同じ天正大地震により、城が倒壊し、城主夫妻が圧死して廃城となった『木舟城』というお城があったとのことです。

木舟城とは?

木舟城は寿永3(1184)年に石黒太郎光弘によって築城されたと伝えられています。

その後、戦国時代を迎え、石黒氏は砺波郡の有力国人領主に成長を遂げます。

しかしながら、最も華々しい活躍をみせた石黒氏最期の城主・石黒成綱(左近蔵人)は織田信長により近江長浜で討たれてしまいます。

それ以降、織田×上杉、佐々×前田とまさに『戦国争乱渦中』に木舟は幾多の戦いの拠点となり、天正13(1585)年、豊臣秀吉の越中平定により前田利家の弟・秀継が入城します。

ところが、同年(1585年)旧11月29日の夜に起こった天正大地震により「木船の城を三丈ばかりゆりしづめたり、家たふるる事数しらず(三壺記)」、「地震ありて貴舟の城をゆり崩(富樫家々譜)」といった記述から大規模な液状化現象が起こったことが想定され、木舟城は倒壊するなど、城と城下町は壊滅的な被害を受け、城主である前田秀継夫妻をはじめ多くの人々が圧死しました。

翌14年、辛うじて難を逃れた秀継の子・利秀は、今石動へ居城を移し、城下の人々も今石動や高岡へと移転して木舟城は廃城となりました。

現在、木舟城跡は県指定史跡になっていますが、そのほとんどが田畑となっていて、城址としては小高い丘をわずかに残しているのみとなっていて哀愁を誘います。

木舟城の歴史

「寿永3(1184)年」
石黒太郎光弘、木舟城を築く

「天正9(1581)年7月」
近江長浜で石黒成綱と家臣が織田方に討たれる

「天正13(1585)年11月」
天正大地震により前田秀継夫妻落命

「天正14(1586)年」
前田利秀、木舟城を廃城

木舟城推定図

現地の看板

所在地→富山県高岡市福岡町木舟141

 

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