幻の「古代長門城」を彷彿とさせる萩市鵜山の『グロ(壠)』
萩市の鵜山にはグロ(壠)と呼ばれている謎の石垣がある。
地元では元寇防塁と伝えられているそうだが、過去に調査をされたことなどはないとのことである。
中でも特筆すべきは沖縄のグスクでよく見ることができる「アーチ式の石門」が一番の見所で、石垣はその石門の周りに造られている「ごく小規模なもの」であろうと思っていたが…、
いやはや…。
実はアーチ式の石門のところだけではなく、鵜山全域に縦横無尽に石垣が張り巡らされていることがわかり、完全に度肝を抜かれた。
鵜山は現在ではそのほとんどがみかん畑となっていて、石垣遺構は草木に埋もれてしまっているが、よくよく目を凝らして見てみると至る所に石垣が造られているのがわかる。
中でも鵜山の東側は特に堅固で「石垣が三重」になっていることまでは確認ができた。
結局のところ、これらの石垣は、一体何重になっているんだろう?
全長は何キロという単位になるのではないか?
尚、現在ではこれらの石垣遺構はそのほとんどが野に埋もれていて、ごく一部を除いて目にすることができなくなってしまっているが、一度完全に草木を除去して調査をしたならば『きっと、とんでもないモノが出てくるのではないか?』と思う。
そして確信した。これは元寇防塁じゃない!
まだ場所が特定されていない天智天皇が造らせた『幻の古代山城の長門城に違いない!』と!
これだけのスゴい遺構が残っている以上、これが長門城じゃなければ説明が付かないのではないか!
そもそもアーチ式の石門だって沖縄のグスクではよく見掛けるものの、沖縄以外でこのようなものがあるなんて、他には寡聞にして存じ上げない!
是非、萩市には「可及的速やか」に「鵜山全域の調査」をしてもらい、この石垣遺構の全容を解明してもらいたい!
ちなみに私は日の出と共にグロ(壠)を訪ねたが、すぐに日が差してきてロクな写真が撮れなくなってしまったが、その後も散策を続けて合計4時間くらい散策をしてから、一旦鵜山から離れた。
その後、適当に周辺地の観光をして日没1時間前に再び鵜山に入って散策をしたが、今度は日没時間切れになってしまった。
いつか一日中曇りの日に再度徹底的に鵜山の散策をしてみたい。
私が確認した鵜山の石垣遺構
取り合えず、かなりアバウトで大変恐縮だが、私が確認した石垣を地形図に落とし込んだので紹介する。
①アーチ式の石門
石門をくぐったら草木が生い茂っていた。
石門をくぐったところからの景観。
せっかくなので石門を登ってみた。やっぱり草が生い茂っていた。
②実は石門からずっと石垣が続いてつながっている。
えっ???マジ!?これどこまでつながってんの?って感じ。
③ここの石垣もスゴい!というか石垣がちゃんと露出(整備?)されている。
この部分は石垣が二重になっている。
④この部分は石垣の上に道がつくられている。
他にもこういうところが何か所かあった。
⑤ここが鵜山の一番高いところ。石垣が廻らされていた。
お城だったら、ここが本丸部分?
⑥この部分の石垣は他の場所に比べてそんなに高くない。
⑦この部分はほとんどが野に埋もれているが「何と!」三重になっていることまでは確認できた。
草が生い茂っているので上の石垣まで登るのはかなり面倒くさい。
一段上の石垣まで登ってみたところ、さらにもう一段上にも石垣が廻らされていたのでこれにはビックリした。
石垣が三重になっているのまでは確認したが、時間の関係や草が完全に生い茂っていることなどから、それ以上の確認はできなかった。(しなかった?)
⑧この辺りの石垣は他の場所に比べてそんなに高くない。
この辺りの石垣は草木が生い茂っている。
⑨この辺りの石垣はほとんどが野に埋もれている。
⑩ここの石垣はかなりの高さがある。
鵜山の中で多分ここの石垣が一番高い。
⑪ここの石垣もかなりインパクトがある。
⑫この辺の石垣は他の場所に比べてそんなに高くない。
⑬ほとんどが野に埋もれているが、かなりの長さがあるような気がする。
⑭かなり長い、どこまでも続いていそうな石垣がある。
実はここだけは場所が少しあやふや。多分この辺だったと思うというところにマーカーを入れた。
⑯鵜山の西の端っこ。アーチ式の石門の西側には石垣は一切見受けられなかったが、西の端っこまで行くと突如として現れる!
鵜山の西の部分には石垣は一切つくられてなかったと思いきや、西の端っこに行くと突如としてこの石垣が出現する。一体なぜここにだけ?他のところは撤去されてしまったのか?いずれにしても謎が深まる。
⑯鵜山に入って一番最初に目にする石垣がこれ?
所在地→山口県萩市大井(鵜山)
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