9本の柱状の巨石が円を描くように建ち並んでいる『佐田京石』




空から飛んできた石が突き刺さっている?謎の『佐田の京石』

佐田京石は宇佐市安心院町の神の宿る山といわれる米神山(標高475m)の麓にある高さ2mから3mの柱状の巨石9本が円を描くように空を仰いで立っているいわゆるストーンサークル(環状列石群)である。

この文字の無い時代の原始宗教の信仰を伝える佐田京石は、弥生期(200年頃)のものと推定され、市指定史跡となっている。

しかしながら、この佐田京石が一体何のために造られたものであるのかについては、太古の祭祀場であるとか、神社の起源であるとか、鳥居の原形であるとか、埋葬経の標石であるとか、由布山を望む霊場であったとか様々な説があるが、未だにその意図が明らかになっていない神秘的な史跡である。

伝説によれば、神々が聖なる山の麓に都を築こうと、100個の巨石をこの地に降らせようとしたが、石が99個まで落ちたところで米神山の神様が一計を案じ、都を築くことが出来なかったと伝えられている。

米神山には今でも99個の大きな京石が突き刺さっていて、頂上まで登る途中にも実際に「月ノ神谷」や「日ノ神谷」など多数の巨石群が度々現れ、山頂にも環状列石群があるなど山全体に古代信仰の痕跡を残しているとのことである。

9本の巨石の中で側面が赤いものが1本だけある。これは一体なんなのだろうか?

佐田京石の後ろ側にも回ってみた。

佐田京石を後ろ側から見ると背景に道路や駐車場のアスファルトや電柱・電線などの人口建造物が目に入ってしまうのが少し残念である。

側面からも見てみた。

佐田京石の真ん中にある巨石。

尚、現在目にすることができる佐田京石は2本併立していたものが1本欠如して9本になったものであると考えられるといい、併立しているものが2対、1本立が3本、倒伏が2本となっている。

こしき石

また、佐田京石から宇佐方面へ行った地点右側の水田の中に、先端が米神山側に向いた立石があり、その上に小さな扁平石を載せたものが立っていて、地元では「こしき石」と呼び、蓋石を取り除くと暴風になるとの伝えがあり暴風石とも呼ばれているとのことである。

平成の京石

佐田の京石より一段低い所には「平成の京石」と呼ばれる立石郡がある。

これらは平成3年11月に土地改良の際に掘り起こされた19本の巨石で、石質が佐田京石や米神山の巨石群と同一と認められたため、平成4年1月に佐田の京石より一段低い所に再建立されたものである。

所在地→大分県宇佐市安心院町佐田

 

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