CATEGORY 史跡

大友親時夫妻の墓

大友親時夫妻の墓 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつとめたが、永…

宗助国(資国)の太刀塚

宗助国(資国)の太刀塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物…

少弐景資の墓

少弐景資の墓 少弐景資の墓。 景資は少弐資能の三男で少弐経資の弟。 元寇の役では日本軍の中心人物として最前線の指揮者として奮戦したことで知られ、文永の役では、日本の総大将として筥崎に陣取り上陸してきた元軍を迎え撃ち、蒙古…

西新(百道) 元寇防塁

西新(百道) 元寇防塁 百道・西新の元寇防塁は約20キロにわたる元寇防塁のちょうど中間地点にあたる。 文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、蒙古軍の侵入を余儀なくされ祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。 こ…

今宿元寇防塁

今宿元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…

今山元寇防塁

今山元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…

今津元寇防塁

今津元寇防塁 今津地区の元寇防塁は大隅国・日向国が担当し、西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に約3キロ築かれているものである。 防塁は砂丘の海に向かった傾斜面に、高さ3m、上の幅2m、下の幅3mの台形状に…