悲劇!静岡県にある『琉球王国』の「具志頭王子の墓」とは?




具志頭王子朝盛 (尚宏)の墓

具志頭王子朝盛(尚宏)の墓。具志頭王子は尚寧王(第二尚氏王統七代目)の弟で薩摩侵攻の翌年の1610年に捕虜として尚寧王と薩摩藩主の島津家久らと共に江戸へ向かった。

二代将軍・徳川秀忠との謁見を前に駿府で大御所の徳川家康を訪ねたが、直後に発病して33歳で病死した。具志頭王子の亡骸は清見寺の墓地の最上部に琉球を望むように埋葬されたという。

墓石には「求王院殿」と文字が刻まれているが、本当は奥にあるお墓が元々のお墓で手前に造られているのは後世になって新しく造られたものであるとのことである。

琉球を望むように建てられているお墓。私が訪ねた時は雨が降っていた。まるで涙雨のようだった。

尚、江戸時代には琉球国使が江戸参府の際に毎回この墓を参詣するのが例になっていたという。

薩摩に侵略され捕虜として江戸に向かう途中で遠く異国の地で亡くなり、故郷に帰ることができなかった具志頭王子の無念は察するに余りあるものがある…。

いかがでしたか?今から約400年前、薩摩の島津氏に侵略され「捕虜」として江戸に向かう途中に駿府(静岡県)で「無念の死」を遂げた「悲劇の琉球王国の王子」がいたことはほとんど知られていません。しかしながら、琉球(沖縄)から遠く離れた「異国の地」で『琉球を望むように埋葬』された「具志頭王子の墓」を訪ねたなら、色々と思うところがあるとしても、きっと誰に言われることなく「手を合わせる」ことと思います。是非皆さんも静岡県を訪ねた際には「具志頭王子の墓」も訪ねてみてはいかがでしょうか?

所在地→静岡県静岡市清水区興津清見寺町418-1(清見寺)

関連記事

アイヌ民族の英雄「シャクシャイン」が眠る松前城内の『耳塚』

対馬の廃村に残されている『朝鮮国王姫の墓』

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします




1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください