琉球王国の最後の南山王『他魯毎の墓』
他魯毎は南山王として冊封された「汪応祖」の長子で、汪応祖が兄の「達勃期」に謀殺された後を継いで1415年に南山王に即位した。
他魯毎は進貢貿易に積極的で南山の最盛期を築いたとされる先代の汪応祖とは違い、自身の欲の赴くままに私腹を肥やすばかりであったとされ、尚巴志が持っていた豪華な金屏風を手に入れたいがために、南山の水田を潤す最大の水源であった嘉手志井と金屏風を尚巴志の策略とも知らずにあっさりと交換をしてしまい、水源を絶たれた領民の恨みを買ったと言われている。
これが原因で領民の信望を失った他魯毎は1429年に尚巴志に攻められ山巓毛で家族とともに自害して南山は滅亡し、尚巴志はついに北山・中山・南山と三国に分裂していた琉球の天下統一を成し遂げることとなった。
現在、山巓毛の崖下には他魯毎を葬ったとされる墓が残されている。
所在地→沖縄県糸満市字糸満中組862番地の5
琉球王国の歴代王の墓マップ(地図)
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