鉄門海上人の即身仏(注連寺・真言宗)




鉄門海上人の即身仏(注連寺・真言宗)

寺院名⇒注連寺(真言宗)

系統⇒注連寺系(湯殿山系)

没年又は入定年⇒文政12年(1829年)12月8日(62歳)

入定伝説⇒地上入滅後埋葬

通算訪問回数⇒2回

ご尊顔⇒データなし

お寺の様子

お寺のパンフレットより

鉄門海上人は明和五年(一七六八)鶴岡市に生まれました。

二十五歳の時に、同寺第六十九世の寛能和尚の弟子となり、鉄門海の名を頂き一世行人となりました。

湯殿山仙人沢で修行の後、人々が難渋している加茂坂に隧道をつくり、また江戸では、眼病が流行して悩む人々のために、自分の左眼を隅田川の龍神様に捧げ祈願し、恵眼院鉄門海上人と呼ばれるようになりました。

上人の足跡は、北は北海道から南は四国にまで及び、湯殿山信仰の布教にも大きな業績を残しました。上人は三千日に及ぶ苦行を行い、62歳で即身仏になりました。

即身仏とは、修行して肉身のままで大日如来と一致する仏になることです。

修験者は、即身仏になるために一千日から五千日、五穀・十穀を断ち、山草・木の実だけを食べる木食行を行い肉体の脂肪・水分を極限まで落とし、土中室に入定します。

即身仏になることは、苦行を通して自らの罪や穢れを除くとともに、永遠の生命と肉体を得ることにより未来永劫、飢饉や悪病に苦しむ衆生の難儀を代行して救済するために自らの身を捧げることです。

このようにして現存する即身仏は、族長保存のためのミイラとは本質的に異なるものなのです。

私の感想コメント

山形県の朝日村には大日坊、注蓮寺、本明寺と3体の即身仏が現存しているが、最も薄い印象しか残ってないのが、この鉄門海上人である。

お寺自体は森敦の小説「月山」(芥川賞受賞作)の舞台としても知られている有名なお寺で、お寺を訪ねるとご丁寧にお寺の方による堂内の説明などを聞くことができるが、逆にそれがどことなく落ち着かない雰囲気を感じてしまった原因となったような気もする。

また、鉄門海上人も広いお堂の隅っこにいらっしゃっていて、他の多くの観光客もみな鉄門海上人のことは一目見てそのまま素通りするといった感じだったので、私一人がじっくりと対面するというのもどことなく気が引けてしまった。

即身仏とは一切の雑念を振り払い、真っ正面からただ一心不乱に向き合いたいと願っているにも関わらず、最後まで気が散ってしまい、いかんともしがかった。

もし、今度訪ねる機会があるのならば、真冬の雪がしんしんと降り続けている、体が芯から冷えるような日に訪ねてみたいものである。

所在地→山形県鶴岡市大網中台92−1

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