CATEGORY 元寇(蒙古襲来)

宗助国(資国)の胴塚

宗助国(資国)の胴塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物で…

松浦答の墓(平戸松浦家第14代当主)

松浦答の墓(平戸松浦家第14代当主) 平戸松浦家第14代当主・松浦答の墓(満福寺跡)。 答は弘安の役の際に鷹島に上陸した蒙古軍を迎撃壊滅させるための戦いで重傷を負ってここで自刃したという。 境内には答の墓と答と共に戦い、…

河野通時の墓

河野通時の墓 河野通時の墓。通時は河野通信の子で通久・通継の弟。 本領の伊予国久米郡石井郷をめぐって兄・通継とその子・通有と相論を起こした。(この時は通継を惣領とし、通時には一部を分与することで和与が成った) 弘安4(1…

逃の浦の石塁(元寇防塁)

逃の浦の石塁(元寇防塁) 逃の浦の石塁(元寇防塁)。かつて星鹿城山山麓の鷹島に面する汀線には、「金倉の石塁」とあわせて、野面積みの石塁が約1kmにわたり延々と元寇の役の当時のまま残されていたというが、戦争時の採石や台風被…

地行元寇防塁 

元寇防塁(地行地区) 地行地区の元寇防塁は博多湾岸のほぼ中央部に位置するが、発掘調査は実施されてなく、その構造や築造の分担国などはまだわかっていない。 指定された昭和前期には高まりが残っていたそうであるが…。 現在は、住…

長門の元寇防塁

長門の元寇防塁 長門の元寇防塁。元寇防塁は長門にも造られたという話があり、下関に元寇防塁とされるものが残されている。 現在は下関ゴルフ倶楽部の中にあるのでクラブハウスに見学の依頼をする必要がある。 尚、現地の看板によると…

竹崎季長の菩提寺(塔福寺)

竹崎季長の菩提寺(塔福寺) 塔福寺は正応6(1293)年に竹崎季長が菩提寺として創建した寺である。 「蒙古襲来絵詞の写本」や竹崎季長が残した「海東神社定置條之書」と題する置文と「奉為塔福寺並御社修造料同領家御年貢奉寄進事…

竹崎季長の子孫について

竹崎季長の子孫について 竹崎氏については確たる系図が残されておらず、竹崎季長の子孫がどうなったのかについてははっきりしていない。 季長以後の海東郷の領主支配がどのように展開したのかもまったくわからず、子孫何代がそのあとを…

竹崎季長の出自について

竹崎季長の出自について 竹崎季長は伏敵編(明治24(1891)年に出版された蒙古襲来関係の史料集)の成立以来「益城郡竹崎を本貫とする阿蘇神社大宮司・阿蘇氏の庶流」とするのが通説となっていたが、近年では竹崎季長が残した文書…