CATEGORY 元寇(蒙古襲来)

姪浜(向浜地区)元寇防塁

姪浜(向浜地区)元寇防塁 姪浜(向浜地区)の元寇防塁。姪浜地区の元寇防塁は肥前国が担当し、西の十郎川から小戸を経て愛宕山に至る区間に築かれている。 向浜地区では、現在、小戸公園の一角に擬木柵に囲まれて指定地があり、説明板…

宇久競の墓

宇久競(宇久氏七代の墓)の墓 宇久氏七代の墓。宇久氏は初代・家盛が文治3(1187)年に宇久島に上陸して土着の豪族を平定して領主となり、鎌倉幕府より所領を安堵され、従五位下に叙せられ、肥前の守に任じられたという。 以来、…

今宿元寇防塁

今宿元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…

今山元寇防塁

今山元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…

今津元寇防塁

今津元寇防塁 今津地区の元寇防塁は大隅国・日向国が担当し、西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に約3キロ築かれているものである。 防塁は砂丘の海に向かった傾斜面に、高さ3m、上の幅2m、下の幅3mの台形状に…

元使塚

元使塚(常立寺) 元使塚は文永の役(1274年)の翌年に元より降伏勧告に使わされ、龍の口で斬首された正使・杜世忠、副使・何文著、通訳・徐賛ら五人の元使の供養塔と伝えられているものである。 杜世忠は元から我が国に使わされた…

蒙古襲来絵詞について

『蒙古襲来絵詞とは』 「蒙古襲来絵詞」は「竹崎季長絵詞」ともいわれ、季長が元寇(文永の役、弘安の役)に際して奮戦したありさまを自らを主人公として絵巻にしたものである。 現存しているものは前後二巻からなり、前巻は文永の役と…

竹崎季長とは

竹崎季長とは 竹崎季長は鎌倉時代後期の武士で肥後国の住人。 菊池氏の一族とする説が有力であるが、本領の益城郡竹崎を失っていた季長は、文永11(1274)年の元寇の際には主従わずかに五騎で出陣するほどに落ちぶれていた。 こ…

竹長季長の年表

竹長季長の年表 「寛元4(1246)年」 肥後国にて生まれる。 「文永11(1274)年・29歳」 9月→文永の役に参戦。蒙古軍と戦う。 「建治元(1275)年・30歳」 6月3日→鎌倉に向けて旅立つ。 8月12日→鎌倉…

平景隆の墓

平景隆の墓 平景隆の墓。景隆は壱岐の守護代で文永の役(蒙古襲来・元寇)で、対馬を発した元軍が文永11(1274)年10月14日申刻(午後4時頃)に壱岐の西面に姿を現したとの島民の注進があるとすぐさまに一族郎党100余騎の…