元使塚(常立寺)
元使塚は文永の役(1274年)の翌年に元より降伏勧告に使わされ、龍の口で斬首された正使・杜世忠、副使・何文著、通訳・徐賛ら五人の元使の供養塔と伝えられているものである。
杜世忠は元から我が国に使わされた通算七度目の使節であったが、それまでのように北九州の大宰府ではなく、本州最西端の長門国の室津に上陸した。
その目的は京都または鎌倉に直接到達しようとするものであったろうと推測されるが、日本側にとって使者が北九州ではなく、長門に直接やって来たことは少なからず脅威を感じることになったことは想像に難くない。
もしも元軍が長門に直接襲来したら、九州と本州の武士が分断されることになるからである。幕府は早速、長門に探題を置き、周防・安芸・備後の四ヶ国に警固番役を負担させるなど再度の蒙古襲来にそなえさせた。
このような中、杜世忠たちは7月21日に鎮西をたち、都を通らずに鎌倉に直接護送された。しかしながら、それは元使の使命を達せしめようとしたものではなく、その言上を聞くこともなく、鎌倉幕府の執権・北条時宗の命によって杜世忠以下五名は9月7日に龍の口で斬首された。
こうして徹底抗戦するとの断固たる決意を示した幕府は、再び蒙古襲来があった場合には、受けて立つとの宣戦布告を内外に表明し、のちに再度、蒙古襲来を受ける(弘安の役)ことになったのである。
所在地→神奈川県藤沢市片瀬3-14-3(常立寺)
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