宗助国(資国)の手足塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物…
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宗下野次郎の墓(その2)
宗下野次郎の墓(その2) 宗下野次郎盛忠(盛維)の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承があり…
大矢野氏関係五輪塔群
大矢野氏関係五輪塔群 大矢野氏関係五輪塔。 大矢野氏は肥後国天草郡大矢野島を本貫地とする御家人で、元寇の際に鎌倉幕府の命により大矢野十郎種保・同三郎種村・同弟の三兄弟が博多湾に馳せ参じ竹崎季長による蒙古襲来絵詞にも大矢野…
少弐景資の墓
少弐景資の墓 少弐景資の墓。 景資は少弐資能の三男で少弐経資の弟。 元寇の役では日本軍の中心人物として最前線の指揮者として奮戦したことで知られ、文永の役では、日本の総大将として筥崎に陣取り上陸してきた元軍を迎え撃ち、蒙古…
兵衛次郎の墓
兵衛次郎の墓 兵衛次郎の墓。 兵衛次郎は対馬の守護代・宗助国(資国)の家臣で文永の役の際、対馬小太郎と共に対馬から元軍の襲来を大宰府へ報告するという使命を果たした。 その後、兵衛次郎は少弐景資の幕下となって小太郎と共に各…
宗下野次郎の墓(その1)
宗下野次郎の墓(その1) 宗下野次郎盛忠(盛維)の墓。宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承があり、…
対馬小太郎の墓
対馬小太郎の墓 対馬小太郎の墓。 小太郎は対馬の守護代・宗助国(資国)の家臣で文永の役の際、兵衛次郎と共に対馬から元軍の襲来を大宰府へ報告するという使命を果たし、その後、博多の防衛戦に参加し、弘安の役でもめざましい活躍を…
宗甲斐六郎盛家の墓
宗甲斐六郎盛家の墓 宗甲斐六郎盛家の墓。 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承があり、宗助(資)国…
宇久競の墓
宇久競(宇久氏七代の墓)の墓 宇久氏七代の墓。宇久氏は初代・家盛が文治3(1187)年に宇久島に上陸して土着の豪族を平定して領主となり、鎌倉幕府より所領を安堵され、従五位下に叙せられ、肥前の守に任じられたという。 以来、…
杉木立の中に20万基を超える墓石が建ち並ぶ『高野山奥之院』
杉木立の中に20万基を超える墓石が建ち並ぶ『高野山奥之院』 高野山の奥之院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が御入定されているとされる聖地である。 一の橋から御廟まで約2キロの道のりには、皇室・貴族関係をはじめ浄土…