「此処より下に家を建てるな」と刻まれている『大津波記念碑』(宮古市重茂の姉吉集落) 「1896(明治29)年の明治三陸大津波」や「1933(昭和8)年の昭和三陸大津波」など、過去に何度となく大津波の被害を受けた津波常襲地…
CATEGORY 東日本大震災の震災遺構
南三陸町防災対策庁舎(東日本大震災の震災遺構)
南三陸町防災対策庁舎(東日本大震災の震災遺構) この赤い鉄骨の骨組みだけが残されている建物は東日本大震災により発生した平均高さ16.5m(海抜)の津波により、避難していた職員や住民43名が犠牲となった南三陸町の防災対策庁…
道の駅高田松原タピック45(東日本大震災の震災遺構)
道の駅高田松原タピック45 「道の駅高田松原」は国道45号沿いに整備された、4ヘクタールを越える敷地面積を誇る、東北随一の道の駅だった。 「タピック45」は、道の駅のシンボル施設として平成3年に建設されたもので、その特徴…
震災遺構は津波遺構
震災遺構は津波遺構 東日本大震災では約16,000人の方がお亡くなりになられたが、そのうちの約90%が「津波が原因の溺死」であるとされている。 つまり『あの大津波』さえ来なければ、三陸沿岸部の家屋や建造物が軒並み流されて…
陸前高田ユースホステル(東日本大震災の震災遺構)
陸前高田ユースホステル 陸前高田ユースホステルは高田松原の中にあった宿泊施設で玄関ホールを中心に左右に客室が伸びた美しい建物であったという。 しかしながら、東日本大震災の大津波により風光明媚な高田松原は一瞬にして失われ、…
中浜小学校(東日本大震災の震災遺構)
旧中浜小学校 中浜小学校の校舎は、海から数百メートルの位置にある。 東日本大震災の地震直後に職員室のテレビに映った津波予想到達時刻はわずか10分後だった。 内陸へ向かって1.5キロ先にある二次避難所の坂元中学校までは低学…
たろう観光ホテル(東日本大震災の震災遺構)
たろう観光ホテル(東日本大震災の震災遺構) たろう観光ホテルは昭和61(1986)年に建設された6階建てのホテルで、東日本大震災で高さ17mの津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた宮古市田老地区に建っている。 たろう観光ホテ…
震災遺構の保存の賛否
震災遺構の保存の賛否 東日本大震災の震災遺構については『未来への教訓とするために保存するべき』という意見と『見るのがツラいので解体してほしい』という遺族や被災者との間で『保存か解体か』で意見が分かれるところである。 どち…
震災遺構とは
震災遺構とは 東日本大震災の惨禍を語り継ぎ、自然災害に対する危機意識や防災意識を醸成するために、震災によって壊れた建物など大規模な地震による被害の大きさ、悲惨さ、被災の記憶や教訓などを後世に伝えるために保存されることにな…
奇跡の一本松(東日本大震災の震災遺構)
奇跡の一本松(東日本大震災の震災遺構) かつて陸前高田市には陸中海岸国立公園(現、三陸復興国立公園)に指定され、渚百選にも選定された名勝「高田松原」があった。 高田松原には約2キロに及ぶ砂浜と約7万本のクロマツが防風林と…