霧島神宮古宮址(高千穂河原)




霧島神宮古宮址(高千穂河原)

高千穂河原にある霧島神宮古宮址は文暦元(1234)年まで霧島神宮が鎮座していた旧境内地である。

もともと霧島神宮は6世紀の欽明天皇の時に高千穂峰の脊門丘に社殿を造営したとされているが噴火で消失。

その後、ここ高千穂河原に再建したが、霧島山の大噴火により消失、社殿は現在の田口に移されたという。

しかしながら、この古宮址は神籬斎場として現在でも祭祀が継続されており、毎月10日には月次祭が行われ、特に11月10日には天孫降臨御神火祭が峰の頂上と斎場で斎行されているといい、社殿を失ったあとも神聖視されてきたことが伺える。

このためか旧境内地は野に埋もれることもなく、建造物が消失した以外は当時のままなのではないかと思わせるような景観と空間を保っており、その空間の神々しさは訪ねたものを厳かな気持ちにさせずにはいられないものがある。

所在地→鹿児島県霧島市霧島田口2583-12

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