オソロシドコロと呼ばれる禁足地だった裏八丁郭(天道法師祠)




「オソロシドコロ(恐ろし所)」と呼ばれる禁足地だった『裏八丁郭(天道法師祠)』

対馬固有の「天道信仰」の聖地で、古来より禁足地とされていた「オソロシドコロ(恐ろし所)」と呼ばれていた場所があるとの噂を聞き付けましたので、早速レポートをしてみたいと思います。

裏八丁郭(天道法師祠)とは?

裏八丁郭(天道法師祠)とは対馬固有の「天道信仰」の伝説上の聖人である『天道法師の母の墓』と伝えられている石積みの祭壇(あるいは塔)である。

この「裏八丁郭(天道法師祠)」は天道信仰の聖地とされ立入や樹木の伐採が禁じられていた龍良山の北麓にあり、この地は古来より「特に強いタブーの地」として「オソロシドコロ」と呼ばれ、禁足地とされていた。

当時、立入りができるのは仏僧や山伏に限られていて、俗人が間違って入った時には、裸足になって赦しを乞う呪文があったいう。

また、禁足を解かれた現在でも「昼なお暗く」訪ねるものを威圧する一種独特の雰囲気があり、お参りをした後には、お尻を向けずに鳥居の所まで後ずさりをしないといけないなどの決まりがあるといわれている。

対馬の固有の宗教である「天道信仰」とは?

天道信仰とは伝承によると673年に対馬南部の豆酘郡内院村にある超能力者が生まれたことにはじまる。

その超能力者の母は虚船(うつろぶね、うつぼぶね)に乗って漂着した高貴な身分の女性であり、太陽に感精して子供を産んだという。

その子供は「太陽=お天道様」であり『太陽の子=天童』と名づけられた。

天童法師は嵐をまとって空を飛ぶことができ、上京して文武天皇の病を治し「宝野上人」の菩薩号を賜ったとされるなど数々の伝説・伝承が残されている。

このように対馬の天童(天道)信仰は一種の太陽信仰で、天照大神の原型になるような対馬独自の祭祀から発生したものであり、中世以降は天道法師という超人伝説に姿を変えて現在に伝わっている。

天道信仰は伝承では7世紀が起源とされているが、平安時代から中世にかけて神仏習合により形成された対馬固有の修験道の一種で、その祭祀形式や行事には古神道の要素が多く伝承されているという。

また、天道信仰の聖地は龍良山全体(山自体)であり、内院・浅藻・豆酘などの集落はすべて龍良山のふもとに位置している。

特に豆酘は、古代米の一種・赤米が神事とともに伝承されていたり、かつて中国や日本で行われていた古代の占いの亀ト(きぼく)が現在も行われているなど固有の民俗・習俗を伝承する地域でもある。

この天道信仰の中心人物である天童法師の墓所は龍良山南面・浅藻の八丁郭(天道法師塔)にあり、その母の墓所は北面の山中の裏八丁郭(天道法師祠)にある。

その2つは特に強いタブーの地として「オソロシドコロ」と呼ばれ、禁足地とされていた。また、禁足を解かれた今でも、喪に服している人はお参りを控えているとのことである。

所在地→長崎県対馬市厳原町豆酘

裏八丁郭への行き方(天道法師祠)

龍良山登山道入口。ここから入山する。

基本的には登山道を利用して登って行く。

但し、裏八丁郭は登山道から外れたところにある。

裏八丁郭までの道のりは傾斜が緩く、キツイところや難所はない。逆に傾斜が緩いので、誰でも?いくらでも登山道からコースアウトができてしまう。裏八丁郭の場所は看板などが一切なく、きわめてわかりにくい。

地元・対馬の方も誰に聞いても口をそろえて裏八丁郭は場所がわかりにくいと言っていた。このため、裏八丁郭を探してコースアウトを繰り返すうちに迷ってしまい、結局たどり着けなかったという事態が生じるのだと思う。

裏八丁郭の正確な場所についてはGPSで測定したものを公開させていただくので、参考にしていただければ幸いである。

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