実は高知県にもある「投入堂」聖神社(土佐の投入堂)
聖神社はあの日本一危険な国宝鑑賞といわれている鳥取県の三徳山三佛寺の投入堂を彷彿とさせる全国的にもあまり類を見ない大変珍しい神社である。
この神社は断崖絶壁の硬いチャートの岩場にできた狭く不安定な岩陰の斜面に柱を立て、その上に空いている空間にちょうどピッタリと納まるようにお社が建てられている。
尚、この神社を堪能するためには2つの楽しみ方がある。
1つは直接お社まで登っていって参拝するものと、1つは深い谷を挟んで対岸の山の中腹にある展望地から遠望するというものである。
展望地までは勾配がかなりキツい急斜面の道を歩くこと約25分で到着する。
そこから見た景観はまさに『土佐の投入堂』という表現が素直に納得できるいつまでも飽きずにずっと見ていられる絶景である。
その姿は本家本元の投入堂に勝るとも劣らないものがあり、一見すると本当にそこに至る道がない断崖絶壁の穴の中にお社が建っているようにも見えるなど、時間が過ぎるのも忘れてただただ魅入ってしまう景観である。
続いて直接お社まで登って参拝するルートであるが、展望地までの山道の傾斜があまりにも過酷だったので、こちらもかなり大変なんだろうと覚悟を決めて登り始めたが、結論から言うと、直線距離にすると約200mで、展望地までの道とは違って傾斜もユルく、道幅も広くて歩きやすかった。
あっという間にたどり着いてしまい、いささか拍子抜けするほどだった。(とはいえ、最後は鎖場や急斜面に架けられた木製のハシゴを進むところもあるが、それらもホンの少しだけだった。)
さて、このお社まで登っていって改めて感じたことは、本当に岩窟の中に「ギリギリいっぱい」にお社が建っていて、お社の前にかろうじて人が一人、ようやく何とか通れるくらいのスペースしかないということである。
このため、このお社を正面からカメラに写すのは不可能である。
とは言え、お社の奥には少しばかり奥行きがあるスペースがあるので、側面からは何とか撮影ができるといった感じでだった。
いずれにしても、一体いつ誰がどうやって、こんな急峻な岩穴にお社を建てたのだろうか…。という疑問が沸々とわいてくる。
尚、この神社の創建については、祭神の「不動明王(石造)」と修理棟札から少なくとも明治11(1878)年には存在していたことがわかるが、それ以上の詳しい歴史については一切が不明であるという。
但し、堂内にある「鰐口」の形態等から推測すると、江戸時代後期まで遡る可能性があるそうである。
社殿は明治12(1879)年に長州大工によって改築されたが、その後の管理がなされず荒廃していたのを、平成元(1989)年に地元小日浦出身の大工さんが修復して何とか元の姿を留めるに至っているということである。
これからもこの景観をいついつまでも守ってほしいと切に願う。
所在地→高知県越知町南ノ川耕
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