三階建ての懸造り!「出入り自由」な世にも珍しい「左下り観音堂」




三階建ての懸造り!自由に出入りができる世にも珍しい「左下り観音堂(左下観音堂)」

左下り観音堂は会津三十三観音の第二十一番札所で日本遺産にも認定されている建築物である。

この左下り観音堂は岩を切り開いて構築された五間(約9m)四方、高さ四丈八尺(約14.5m)の見上げるほどの高さを誇る見事な懸造りである。

この左下り観音堂の最大の特徴は懸造り部分が複層階になっていて、さらにそれらを行き来する階段が設けられていることである。

このように懸造り部分が複層になっていて、自由に出入りができるような構造になっているのは大変に珍しく、この左下り観音堂の代名詞のようなものとなっている。

なお、この木造三層懸造りの左下り観音堂の創建時期は鎌倉時代初め頃で、当初は北向き正面として建てられた三間四方の禅宗様形式堂宇であったと推測されている。

また、その後、安永7(1778)年頃に外周の庇が改修され(墨書あり)、さらに東向き正面に変更されて、現在に伝えられているとのことである。

柱は円柱で、柱上台輪錫杖型絵様繰型、頭貫鼻絵様繰型には奥会津独特の鋭い形態を伝え、斗繰の小さい平三斗は古様を示しているという。

記録によれば、延文3(1358)年に蘆名氏家臣の富田将監裕義が大修理を加えていて、それ以降の改修については詳細が不明とのことである。

当初の堂宇は、修験道の入行に先立って籠る行堂として建てられたものと考えられ、本尊に関しては、縁起に「無頸観音」の逸話として伝えられる内容からすると、中世荘園の経営体制を維持するために絶対不可欠な「惣堂・村堂」の役目を担わされたものと推測されているとのことである。

少し前振りが長くなってしまったが、実際にお堂の中に入ってみることにした!

このお堂は向かって左側に架かる橋を渡って入堂するようになっている。横から見ると確かに三層に分かれているのがわかる!

ではまず「最上層」から散策してみよう!

お堂の中の様子。ここに安置されている石像は秘仏とされ、俗に「無頸観音」と呼ばれている。

お堂の裏側に回ってみる。

お堂の後ろに回るとその先に洞窟上の穴が開いている。

その洞窟状の穴の中には小さな石像が立ち並んでいる。

ここに並んでいる一番右側の石仏も「無頸」だった。。。

洞窟の出口から外を眺めてみた景観。

お堂の裏側。

岩を穿ってお堂が建てられているのがよくわかる。それにしても落書きが痛々しい。

再びお堂の入口に戻ってきた!

お堂からは会津盆地が一望できる。

もともと回縁はなかったが、江戸時代の「三十三観音めぐり」が盛んになった頃に現在の形になったとされている。

お堂をグルっと回るとお堂の裏側にあった洞窟状の穴の出口部分が見える。

さて、ここからがこの左下り観音堂の最大の特徴である懸造り部分が複層階となっている部分である!はやる気持ちを抑えて、早速、中間層に降りてみる!

中間層(第二層)にはこの階段を使って降りていく。

階段から中間層(第二層)を見下ろしてみた!

それでは続いて中間層(第二層)を散策してみる!

それぞれの階層ではしっかりとした手すりがあるわけではなく、歩くと床はミシミシと軋む音がするなど「かなり怖い」

この辺はかなり怖い。

隅っこはやっぱりかなり怖い。。。

床は「スカスカ」な感じでその内に「抜けてしまうのではないか」との「恐怖感」がもれなく付いてくる。

中間層の天井(懸造り)部分。

中間層の後ろの岩窟部には大きな岩が突き出しているところがある。

横から見てみた。

それにしてもよくこんなところにお堂を建てたものだようなぁ~と感心する。

では最後に最下層に降りてみる!

最下層へはここを降りていく。

最下層は地面の上に建っている。

では最後に最下層の散策をしてみる。

最下層は中間層よりも柱が多い。

補修部材?がゴロッと置いてある。

消火器も置いてある。

最下層の天井(懸造り)部分を眺めてみた。

最後に床下を見てみた!

所在地→福島県会津美里町大石字東左下り1173

おまけ:現地の看板

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