深山幽谷の断崖絶壁にへばりつくように建てられている『布引観音』
布引観音は「牛にひかれて善光寺参り(信心を持たないおばあさんが牛に姿を変えた観音様に導かれ善光寺までたどり着き今までの欲張りで意地悪な心を悔い改めたという昔話)」の伝説の舞台となった寺で、行基が創建したとされる天台宗の名刹である。
正式名称は、天台宗布引山釈尊寺で信濃三十三観音霊場の第29番札所にあたる。
断崖絶壁にへばりつくように建てられている観音堂に安置されているのが、牛に化身して、強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音である。
その光景はインパクトが絶大で本当によくもまあ、こんなところにお堂を建てたものだと感嘆する。
この布引観音へは「必ずしも道がいいとは言い切れない」、「勾配もかなりある」、「険しい山道」を約20分登って行く必要があるが、断崖絶壁にそびえ立つ観音堂の景観はただただ圧巻なので、是非一度は訪ねてみる価値があるだろう。
布引観音堂を真下から見てみた!
はるか彼方に見上げたところにお堂が造られている。ホントによくこんな切り立った絶壁にお堂を建てたものだとつくづく感心する。
観音堂から懸造りの部分を覗いてみた!
さらに頑張って顔を出してみた!おー怖っ!
牛にひかれて善光寺参りの伝説(現地看板より引用)
むかし、信心のうすい老婆が住んでおりました。この老婆が千曲川で布を晒しておりますと、どこからともなく一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出しました。
老婆は、驚いて、野を越え、山越え、牛の後を追いかけましたが、ふと気がついてみますと善光寺の境内まで来ておりました。老婆は、やっとのことで牛に追いついたのかと思ったのもつかの間、牛は金堂のあたりで、突然姿を消ししてしまったのではありませんか。
驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、あっけにとられてその場にたたずんでしまいました。日も暮れる頃、どこからともなく一条の光明がさし、その霊光の尊さに思わずひざまずいて、菩堤心を起こし一夜を金堂にこもって罪悪を詫び、家に帰ってまいりました。
ある日の事、ふと布引山を仰ぎ見ますと、岩角にあの布が吹き付けられているではありませんか。老婆は何とかして取り戻したいと思いましたが断崖絶壁の事で取るすべもありません。一心不乱に念じているうち、布と共に石と化してしまったと云うことです。
この布引山の断崖には今も白く布の形をした岩肌が眺められます。布引観世音菩薩が、牛に化して信心うすい老婆を、善光寺阿弥陀如来の許に導いて教化をしたのだそうです。
この話は、信濃四大伝説の一つとして、今に語り伝えられております。
布引山の断崖にある白く布の形をした岩肌!
重要文化財に指定されている『観音堂宮殿』
尚、観音堂の岩窟内に安置されている宮殿は正嘉2(1258)年に建立された和風建築のひな形とも云うべきもので、鎌倉時代の様式をよく現した重要な建築物とされる。正嘉2年の棟札により建立年代が明確なこととともに、美術史上重要な建築物として、昭和11(1936)年に国宝に指定、現在は重要文化財となっている。
所在地→長野県小諸市大久保2250
布引観音堂までの道のり
布引観音は布引山中にあり、駐車場から「必ずしも道がいいとは言い切れない」、「勾配もかなりある」、「険しい山道」を約20分登って行く必要がある。道中は険しいが、滝や牛馬の形をした岩、多種の仏像、善光寺まで通じていると云われている穴などたくさんの見所がある。
布引観音への参道入口
布引二段滝
見守り地蔵
牛岩
善光寺穴
長野の善光寺まで穴が通じていると云われ、その昔、善光寺火災の折にこの穴から煙が出たと伝えられる。
仁王門
仁王門の先には観音堂が堂々とそびえ立っている。
さらに登ると本堂が見えてきた!
本堂
本堂のからの眺望
本堂より観音堂への道のり
観音堂に行く前にも岩盤にはめ込まれたようなお堂がある。
このトンネルは一体いつ掘られたものなのだろうか?
もしも、このトンネルが後世に掘られたものだとしたら、以前は観音堂へはどうやって行っていたのだろうか?
トンネルから本堂の方を振り返ってみた。重厚感のある何とも言えぬ景観である。
六地蔵
トンネルを抜けた先には六地蔵がある。
六地蔵の先にも岩盤にはめ込まれたようなお堂がある。やはり重厚感がある景観であるのだが、その先にあるボックスが雰囲気を損ねているのがとても残念である。
いよいよ観音堂へ
観音堂の奥。ここに布引観音が祀られている?
観音堂よりの眺め
観音堂より仁王門と本堂を望む
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