「東京都唯一」の木造の国宝建造物である『正福寺千体地蔵堂』




「東京都唯一」の木造の国宝建造物である『正福寺千体地蔵堂』

東京都は江戸時代には江戸幕府が置かれ、明治維新以後は現在に至るまで皇居の所在地となっている言わずと知れた日本の首都である。

そんな東京都には国宝の建造物が掃いて捨てるほどあると思いきや、実は意外なことに長らく東京都下の国宝建造物は今回紹介する正福寺の地蔵堂のみだった。

ちなみに東京都下におけるもう一つの国宝建造物は「迎賓館赤坂離宮」で平成21(2009)年に国宝に指定されたものである。

つまり長らくは東京都下における国宝建造物は正福寺の地蔵堂のわずかに1つのみだったわけである。

それほどまでに貴重で重要な建造物があるにもかかわらず「正福寺」の知名度は「ほとんどない」といってよいほどである。

知名度がないので、その「地蔵堂」がどんな建物で所在地はどこなのかということも「もちろん大多数の方が知らない」であろうと思われる。

結論から言うと正福寺は「あの志村けんを輩出した東村山市」にある。

東村山駅前にある志村けんの像。

正福寺は東村山駅から約900mのところにある。

正福寺は臨済宗の寺院で鎌倉の建長寺の末寺である。鎌倉幕府執権であった北条時宗か、またはその父である時頼によって開基され、勧請開山は中国南宋の石渓心月仏海であると言い伝えられているが、確たる史料は現存していないそうである。

正福寺山門は昭和48(1973)年に行われた解体修理の際発見された親柱枘の墨書銘「元禄十四辛巳年無神月吉祥日建ロ(者)也、此時住寺號月山(以下略)」から、元禄14(1701)年、月山の代の建立であることが判明したという。

山門の建築形式は、四脚門で切妻、昭和48(1973)年の修理の際に、茅葺から茅葺形銅板葺に改修されたとのことである。建築様式は禅宗様で、その規模は、桁行十尺(3.03m)、梁行十尺で、高さも柱底部から桁下端までで十尺となっている。屋根はかつては化粧裏板の上に登り、梁を架けて茅葺としていたものと考えられ、彩色は柱、桁、冠木、束等に朱の痕跡が見られ、もともとは全体が朱で塗装されていたものとみられるそうである。

仏殿である地蔵堂は応永14(1407)年に建立された典型的な禅宗様建築で、東京都で唯一の木造の国宝建造物である。

地蔵堂は鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物で、波形欄間、花頭窓、屋根の反りなどに特徴がある。

昭和8年~9年に屋根の茅葺きをこけら葺きに改修した際に発見された墨書銘により、室町時代の応永14(1407)年の建立と判明した。

寺の縁起では鎌倉幕府の執権北条時宗が鷹狩りの際病気になり、夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したと伝えられているそうである。

年に3回(6月第二日曜日、8月8日、11月3日)内部公開される。

国の指定名称は正福寺地蔵堂であるが、堂内に奉納された小地蔵にちなんで地元では正福寺千体地蔵堂とも呼ばれているそうである。

所在地→東京都東村山市野口町4-6−1

おまけ:本堂

境内の説明版

 

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