宗助国(資国)の胴塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物で…
宗助国(資国)の胴塚

宗助国(資国)の胴塚 宗助国(資国)は宗家初代・重尚の末弟で重尚から襲封云々とあるが確証はない。 一方、他の確実な史料における宗氏の初見で、対馬守護・地頭である少弐氏の守護代、地頭代を勤めていたことが知られる最初の人物で…
松浦答の墓(平戸松浦家第14代当主) 平戸松浦家第14代当主・松浦答の墓(満福寺跡)。 答は弘安の役の際に鷹島に上陸した蒙古軍を迎撃壊滅させるための戦いで重傷を負ってここで自刃したという。 境内には答の墓と答と共に戦い、…
「あの世(黄泉の国)」と「この世」の境界にある『黄泉比良坂』 黄泉比良坂は、伊邪那岐(イザナギ)命が先立たれた最後の妻、伊邪那美(イザナミ)命を慕って黄泉の国を訪ねた際の黄泉の国(あの世)の入口で、黄泉の国(あの世)と現…
琉球国王の陵墓を実物大で完全に再現している「浦添グスク・ようどれ館」 突然ですが、歴代の天皇陵は古代の天皇陵であれ、中世の天皇陵であれ、近世の天皇陵であれ、その中(敷地内)に入ることはできません。 もちろん中(敷地内)に…
見渡す限りに穴があいている「奇景」『滝尾百穴横穴古墳群』 滝尾百穴横穴古墳群は古墳時代後期後半(6世紀)を中心とする100年間に盛行した墓制で、密集して営まれたことから群集墳と呼ばれる集団墓である。 滝尾百穴は大分市滝尾…
アイヌ民族の英雄「シャクシャイン」が眠る松前城内の『耳塚』 松前藩の苛酷なアイヌ民族支配強化に対し、アイヌの人々が団結して民族の誇りをかけて近世最大の抵抗を示したのが、寛文9(1669)年のシャクシャインの戦いである。 …
河野通時の墓 河野通時の墓。通時は河野通信の子で通久・通継の弟。 本領の伊予国久米郡石井郷をめぐって兄・通継とその子・通有と相論を起こした。(この時は通継を惣領とし、通時には一部を分与することで和与が成った) 弘安4(1…
源氏の追っ手から逃れるために墓碑が建てられていない『平家落人の墓』 ここ祖谷地方は日本三大秘境の一つとされ、日本有数の圧倒的な質と量の平家落人伝説が語り継がれていた地方である。 現在でも、源氏の追討軍が攻め寄せてきた場合…
日本三大墓所の一つである『対馬藩主宗家墓所(万松院)』 対馬藩主宗家墓所は歴代の対馬藩主と正室および一族の墓所で桃山様式を残す山門のわきから、百雁木とよばれる132段の自然石の大石段を登った所にある。 元和元(1615)…
近代まで両墓制が残っていた段々畑と海に囲まれた『青海の里』 青海の里は対馬市峰町の西海岸にある段々畑と海に囲まれた集落である。 集落内を散策すると昔ながらの高床式の倉庫や藻小屋、防風垣などが残されていて『日本の原風景』を…