鎌倉の鶴岡八幡宮には「海に浮かぶ」幻の『大鳥居』があった?!




鎌倉の鶴岡八幡宮には「海に浮かぶ」幻の『浜の大鳥居』があった?!

かつて「鎌倉の鶴岡八幡宮」には「日本三景の安芸の宮島(厳島神社)」のように『浜の大鳥居』と呼ばれ、海の中に浮かぶ「幻の大鳥居」が存在していたとの噂を聞き付けましたので、早速レポートをしてみたいと思います。

現在、鶴岡八幡宮の参道(若宮大路)には一の鳥居から三の鳥居まで三本の鳥居が建てられています。

『一の鳥居』

『二の鳥居』

「二の鳥居」の先には有名な『段葛』があります。

『三の鳥居』

このように「現在の鶴岡八幡宮」には一の鳥居から三の鳥居までの3つの鳥居がありますが、かつては『浜の大鳥居』と呼ばれるもう一つの鳥居があったという伝承があります!

出典:楽しい鎌倉

『浜の大鳥居』は鶴岡八幡宮の参道(若宮大路)の最も南側(海側)に立っていたとされ、厳島神社のように海の中に立っていたとか、いやいや『浜の大鳥居』とは一の鳥居のことだとかどうとか。このように浜の大鳥居がどこにあったのかについては諸説があり謎に包まれていました。

「海の中に浮かぶ鳥居」としては『厳島神社の鳥居』があまりにも有名です。ひょっとしたら鎌倉にも厳島神社のような絶景が存在していたのでしょうか?

ところが、平成2(1990)年の発掘調査により、現在の一の鳥居から北に約180mの地点で浜の大鳥居ではないかと推定される鳥居柱痕が発見されました。

平成2年2月の発掘調査により、鳥居柱痕が発見され、浜の大鳥居ではないかと推定されたという。

現在の浜の大鳥居跡の様子

道路を挟んだ反対側にはもう一つの鳥居柱痕が発見された場所があり、現在ではタイルでかたどられていて発掘された場所がわかるようになっています。

現地の看板によると「鶴岡八幡宮参道(若宮大路)の最も南側に立つ鳥居は「浜鳥居」と呼ばれ治承4(1180)年の建立以来数次の再建を繰り返す。鳥居柱痕の年代は供出遺物等によって戦国期と推察され、天文22(1553)年北条氏康により造立された大鳥居のものである可能性が高い。快元僧都記などによれば、天文4年安養院の僧玉運が瑞夢から浜の鳥居再建を発願し上総国峯上で得た用材を海路運搬して準備を進めたと云う。本遺構は現在の鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)の北方約180mに位置し、特異な構造であるとともに、旧浜鳥居の位置が推定できる点でも重要である」とあると説明がされています。

しかしながら『浜の大鳥居跡』は現在の一の鳥居よりもさらに鶴岡八幡宮に180mくらい近いところ(要は海から遠く)にある。これじゃあ『浜の鳥居とは言わないんじゃないか…』と思った。私的には『幻の浜の大鳥居』は厳島神社のように海に立っていたんだと思いたい。

いかがでしたか?「鎌倉」にも「あの日本三景の厳島神社」のように海の中に鳥居が立っていたという伝説は夢とロマンに満ち溢れています。是非皆さんも鎌倉を訪ねた際には鶴岡八幡宮の参道(若宮大路)を散策しながら、かつて存在していたとされる『浜の大鳥居』に思いを馳せてみてはいかがでしょうか

関連記事

「死ぬまでに一度は訪ねたい!」「日本全国の鳥居あれこれ」

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください