生の松原元寇防塁
生の松原地区の元寇防塁は肥後国が担当して築造し、警備をした。
生の松原地区の防塁は長垂海岸から小戸海岸に至る約2、5キロに渡って築かれている。
防塁は海側に石を積み上げ、陸側は版築と呼ばれる工法で土と砂を突き固めて構築されている。
高さは2、5mで陸側は一段下がって階段状になっている。
昭和43年に発掘調査が行われ、海への傾斜面に幅1~1、5m、残高1、8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していることが判明した。
また積み上げられた石の種類が、西側は長垂海岸に見られるペグマタイト(花崗岩)、東側は小戸岬一帯の砂岩ときれいに分かれていたといい、史料によればこの付近の防塁構築は、姪浜が肥前国、生の松原が肥後国とあり、この石材の違いは両国の分担地区を示す可能性があるという。
『蒙古襲来絵詞』に描かれた菊池武房主従が陣取る防塁の前を竹崎季長一行が馬上で進むあの有名な場面はこの生の松原の情景である。
防塁の一部は築造時の高さに復元され、見学できるようになっている。
所在地→福岡県福岡市西区生の松原
元寇防塁位置図
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