国歌「君が代発祥の地」である「横浜」の『妙香寺』
神奈川県の横浜市にある妙香寺は国歌「君が代の発祥の地」であるとのことです。
それでは早速訪ねてみましょう!ここが妙香寺の入口です。
向かって右手には「国歌君が代由緒地」という石碑が建っています。
さらに進んでみます。どうやらこの階段を登り切るとお寺にたどり着けそうです。
ようやく到着です!
ところで・・・なぜ妙香寺が君が代発祥の地とされているのでしょうか?
外国の艦船などが入港した際に友好国との間で行われる儀礼式では必ず国旗が掲揚され、国家を演奏するのが慣わしですが、幕末から明治初年にかけての日本にはまだ国旗・国歌はありませんでした。
他藩にさきがけて外国との交流を手掛けてきた薩摩藩では特にその必要性を感じていました。
そんな薩摩藩では明治2(1869)年に日本最初の軍楽隊を組織し、伝習生30名を横浜に派遣して、英国軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンのもとで学ばせました。
この薩摩藩洋楽伝習生が寄宿舎として毎日を過ごし吹奏楽の練習に励んだのが妙香寺です。(彼らの宿舎は、教師や軍学生の都合でたまたま妙香寺に決定したようです。)
こうして妙香寺に寄宿した薩摩藩士が日本第一号の吹奏楽隊となったことで妙香寺は「日本吹奏楽発祥の地」となりました。
また、ある日フェントンが伝習生に「日本に国歌はないのか」と国歌の必要性を説き「歌詞があれば作曲しよう」と問いかけたのがきっかけとなり、砲兵隊長大山巌(後の大山元帥)らが中心になって、君が代を歌詞として選び、フェントンが作曲したのが初代「君が代」です。
このようにフェントンがこの地において初代「君が代」を作曲したため、妙香寺は「君が代発祥の地」とされているのです。
尚、この初代「君が代」は、明治3(1870)年9月8日に明治天皇の御前で薩摩藩軍楽隊により初演されたとのことです。
しかしながら、フェントンの作曲した初代「君が代」は歌詞と洋風メロディーとの違和感が各所から指摘され、明治13(1880)年に楽曲の改定があり、現在の国歌「君が代」へと到っています。
現在、妙香寺には「日本吹奏楽発祥の地」の碑と「国歌君が代発祥の地」の碑が並んで建てられています。
所在地→神奈川県横浜市中区妙香寺台8
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