「日本最古の木造鳥居」である『大井俣窪八幡神社の鳥居』




「日本最古の木造鳥居」である『大井俣窪八幡神社の鳥居』

大井俣窪八幡神社の鳥居は、木造の鳥居としては『現存する日本最古の鳥居』である。

神社本紀の記録によると、天文4(1535)年に武田信虎によって42才の厄壤祈願のため鳥居と石橋が建立されたとあり、現在の鳥居はこの時に再建されたものであると考えられている。(この他に戦国期の資料として名高い「王代記」の記載から建築年代は天文9(1540)年とも考えられているという。)

この鳥居は神社境内から東方に離れた参道にあって、神門を望む位置に建っているが、現在では頻繁に車や人の往来がある住宅街の中に埋没してしまっているような感じとなっている。

このため、景観に優れているわけではなく、どちらかといえば少し残念な風景の中にある鳥居と言わざるを得ない感じとなっていて『日本最古の木造鳥居』という予備知識がなければ気にも止めずにスルーしてしまいそうな立地となってしまっている。

しかしながら、一般的に鳥居は造替の頻度が多い建造物のため、造立年代が室町時代まで遡る例は珍しく、現存の木造鳥居の中で最も古い遺構として極めて価値が高いことは紛れもない事実である。

現地の看板によると「この日本最古の木造鳥居」のことは以下のように解説されている。

親柱の前後に面取り角柱の控柱か立ち、親柱と控柱間は上下11本の笠木つき貫を通して連結され、いわゆる両部鳥居または四脚鳥居と呼ぶ形式となる。

木材はそのほとんどに目の混んだ杉が使われており、親柱を連結する貫だけは節の多い松が使用されている。高さは約7.41m、横幅が広く約5.91mである。

親柱は太い円柱で直径約55cmあり、自然石礎石上に内側に転び(傾斜)をつけて立てる。柱頂には台輪がつき、島木および笠木を受ける。島木、笠木には軽快な心反りがあり、笠木上は屋根板を張り銅板葺とした屋根をかける。

島木下方の貫は柱を貫通し、両端の鼻は長く外方に突き出している。島木と貫の中央部には額束を立て、額束正面に「大井俣神社」と文字金箔押しの木製神額が掲げられている。

所在地→山梨県山梨市北654

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