西新元寇防塁




西新元寇防塁

百道・西新の元寇防塁は約20キロにわたる元寇防塁のちょうど中間地点にあたる。

文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、蒙古軍の侵入を余儀なくされ祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。

このため防塁は強固なものであったと考えられ、その構造は他地区とは異っているが担当国は不明である。防塁の構造は粘土による基礎工事を行い、基底部幅3、5mの前面と後面に石積みをし、その間に砂と粘土が詰められているなど石材の節約をはかった独特の工法となっている。

現在は西南大学南側の防塁が復元整備されて公開されている。

所在地→福岡県福岡市早良区西新7-4

元寇防塁位置図

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