まるで古代遺跡!天空の城壁!「鋸山の房州石の石切場跡!」
鋸山は東京湾に面した房総半島の西側にある山である。
標高は約329mとそれほど高い山ではないものの、古くから良質な「房州石」の産地として知られ、江戸から明治にかけて建築用材、護岸工事用材、土木工事用材として盛んに切り出されたという。
鋸山の正式名称は「乾坤山」であるが、採石のため切り出された山がのこぎりの歯のようにギザギザに見えることから「鋸山」と呼ばれている。
石切場の跡地は独特の形をしていて、山腹に垂直に切り立った険しい岩肌が露出している景観は見るものを圧倒するものがある。
鬱蒼とした森の中に随所に残されている石切場跡や打ち捨てられ錆び錆びとなっている機材などの様子はどこかノスタルジックである。
現在、目にすることができる石切場跡にはそれぞれ『ラピュタの壁』『石舞台』『観音洞窟』『吹抜洞窟』など、想像力が掻き立てられ、わくわくドキドキさせられるものがある。
他にも鋸山には『絶壁階段』『地球が丸く見える展望台』など、旅情を誘う名前の付いたスポットがあり、しかもそれらが決して名前負けをしていないのだから本当に舌を巻く。
では、鋸山の石切場跡の見所を順に紹介していくこととする。
石切り場跡(観音洞窟)
あまりに大きすぎて全景を写真に撮ることができない。
今では草木に埋もれているといった感じ。
四角い穴の上部には通常横長に切り出す石が縦長に切り出された痕跡が残っている。これは垂直な壁面を切り出し始める際にのみ行われる「垣根堀り」という技法で熟練者の仕事であったという。その下からは、下に掘り下げる一般的な「平切り」の痕が横縞となって残っている。
四角い穴がボコボコとあいているような不思議な景観。
石切り場跡(吹抜洞窟)
一見するとレンガ造りの家のようにも見える。
吹抜洞窟は入口のレンガを積み重ねたような景観が特徴的で印象深い。
まさか、このレンガ?や添木?で天井を支えるのではないだろうな。。。
洞窟の中にもやはりレンガ状?の天井を支えている?柱がある。
洞窟の中にはその名の通り吹き抜けがある。
石切り場跡(石舞台)
岩舞台(俗称)は安政時代より「総元締め」と呼ばれ、もっとも有力な石材業者であった芳家石材店(鈴木四郎右衛門家)の石切り場跡である。
ここは岩の形状と刻み込まれた文字の位置で石切り場の時代による変化がよく確認できる場所であるという。
石舞台は何と言ってもこの垂直に切り立った絶壁の真下まで行けるのがスゴい!その絶壁の真下から見上げた景観は写真では決して伝えることができない圧倒的な迫力がある。
石切り場跡(石舞台)で打ち捨てられ錆び錆びとなっている機材
もう使われなくなった重機がそのまま打ち捨てられている。
何ともノスタルジックで哀愁の漂う景観である。
石切り場跡(ラピュタの壁)
ラピュタの壁のさらに詳しい詳細レポはコチラ↓
切り通し跡
切り通しは岩壁を切りぬき作った道である。
石切り場から採石する際、良質な石材を求めて切り下ることに成り、石切り場周囲が岩壁で囲まれた状態となるため、石材やズリ(石のくず)の搬出道を作る必要があり、これが切り通しと呼ばれるものである。
大規模な石切り場には切り通しが伴う事が多く、これを地元では「ロ抜き」と言っていたという。
切り通しを通過すると石材を集積する平場があり、そこが石材を滑り下ろすすべり台である通道の起点になるのが通例で、切り通し両側の壁面にも、石を切り出した痕跡が横縞模様となって残っている。
石切り場跡にできた池
なぜか池の水は黒ずんでいる。お世辞にもキレイとは思えない。
上の池とは別の場所にある池
水面に草木や石が切り出された絶壁の横縞が映し出されている。
鯉が泳いでいるのも何気によい。
絶壁階段よりの展望
絶壁階段からの景観はまさに『絶景』だが、『絶壁階段ではなく絶望階段』と名前を変えた方がいいんじゃないか?と思われるほどの急階段である。
所在地→千葉県鋸南町元名
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おまけ
石切り場跡(観音洞窟)
石切り場跡(吹抜洞窟)
石切り場跡(石舞台)
石切り場跡(石舞台)で打ち捨てられ錆び錆びとなっている機材
その他
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