「日本で唯一」の形式をしている伊香具神社の『伊香式鳥居』
「日本で唯一」の形式をしている伊香具神社の『伊香式鳥居』 伊香式鳥居は神社の正面に両翼を広げたような鳥居で奈良の三輪式鳥居と安芸の厳島式鳥居を組み合わせた様な形をしている。 奈良の三輪式鳥居 出典:三輪明神大神神社 三ツ…
「日本で唯一」の形式をしている伊香具神社の『伊香式鳥居』 伊香式鳥居は神社の正面に両翼を広げたような鳥居で奈良の三輪式鳥居と安芸の厳島式鳥居を組み合わせた様な形をしている。 奈良の三輪式鳥居 出典:三輪明神大神神社 三ツ…
大阪府泉南市の林昌寺に現存している「祐海上人」の「補陀落渡海碑」 大阪府泉南市の林昌寺に現存している「補陀落渡海碑」は全国的にもわずかに三基しか残されていない「補陀落渡海碑」の一つである。 補陀落渡海とは 補陀落渡海とは…
「此処より下に家を建てるな」と刻まれている『大津波記念碑』(宮古市重茂の姉吉集落) 「1896(明治29)年の明治三陸大津波」や「1933(昭和8)年の昭和三陸大津波」など、過去に何度となく大津波の被害を受けた津波常襲地…
五島列島の無人島(野崎島)にある古代祭祀遺跡?謎に包まれた『王位石(おえいし)』 王位石(おえいし)は現在は無人島となっている野崎島の沖ノ神嶋神社の社殿の真後ろにそびえ立つ、複数の石が積み上げられて構成されている巨大な奇…
社殿の真後ろに存在感抜群の巨岩がそびえ立つ『小倉山五輪石稲荷神社』 五輪石稲荷神社は福島市にある神社である。 社殿は小さくてこじんまりとしているが、この神社の見所は何といっても社殿の真後ろにそびえ立つ五輪石と呼ばれる存在…
世界で4ヶ所(5基)しか現存していないレンガドックの一つである『浦賀ドック』 浦賀レンガドックは、明治32(1899)年に建造されてから平成15(2003)年に閉鎖されるまでの約100年間で日本丸や海王丸をはじめ、青函連…
大友頼泰の墓 頼泰は大友家第三代当主で大友家惣領として初めて豊後に入国し、以後大友氏は豊後に土着し勢力を築いた。 頼泰は仁治3(1242)年に鎌倉幕府の御成敗式目を参考にして「新御成敗状」28条を作成し、寛元2(1244…
宗右馬次郎盛就の墓 宗氏家譜には文永の役で討死した将士の名が三十余名列記されていて、その中に宗を名乗る一族が十名いる。 元軍の軍船は九百艘とされ、対馬には全島が襲撃されたとの伝承がある。 新対馬島誌によれば、盛就は助(資…
大友親時の墓(中尾五輪塔) 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。 父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつ…
大友親時夫妻の墓 大友家第四代当主・親時の墓。 親時は大友頼泰の長男で文永・弘安の役の際には父・頼泰とともに博多に出陣し、九州の諸将を指揮して蒙古軍と戦い武功を挙げた。父・頼泰のあとをうけて鎮西談議所頭人をつとめたが、永…