本明海上人の即身仏(本明寺・真言宗)
本明海上人の即身仏(本明寺・真言宗) 寺院名⇒本明寺(真言宗) 系統⇒注連寺系(湯殿山系) 没年又は入定年⇒天和3年(1683年)閏5月8日(61歳) 入定伝説⇒土中入定 通算訪問回数⇒5回 ご尊顔⇒データなし お寺の様…
本明海上人の即身仏(本明寺・真言宗) 寺院名⇒本明寺(真言宗) 系統⇒注連寺系(湯殿山系) 没年又は入定年⇒天和3年(1683年)閏5月8日(61歳) 入定伝説⇒土中入定 通算訪問回数⇒5回 ご尊顔⇒データなし お寺の様…
宇久競(宇久氏七代の墓)の墓 宇久氏七代の墓。宇久氏は初代・家盛が文治3(1187)年に宇久島に上陸して土着の豪族を平定して領主となり、鎌倉幕府より所領を安堵され、従五位下に叙せられ、肥前の守に任じられたという。 以来、…
今宿元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…
今山元寇防塁 今宿地区(当時の表現では青木横浜)の元寇防塁は豊前国が担当し、長垂山から今山にかけて約2、2キロに渡って築かれたものである。 古文書には築城郡吉富村を本拠とした成富氏が乾元2(1303)年にこの地区の防塁の…
今津元寇防塁 今津地区の元寇防塁は大隅国・日向国が担当し、西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に約3キロ築かれているものである。 防塁は砂丘の海に向かった傾斜面に、高さ3m、上の幅2m、下の幅3mの台形状に…
杉木立の中に20万基を超える墓石が建ち並ぶ『高野山奥之院』 高野山の奥之院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が御入定されているとされる聖地である。 一の橋から御廟まで約2キロの道のりには、皇室・貴族関係をはじめ浄土…
約1200年間続けられている儀式!高野山奥之院の『生身供』 高野山は標高1,000m級の峰々に囲まれた標高約800m~850mの山上に広がる東西約6キロ、南北約3キロの蓮の華のような地形の盆地で、約1200年前に弘法大師…
墓地の中に鳥居が造立する「得も言われぬ景観」の『来世墓地石鳥居』 来世墓地は平城京羅城門跡の南西側にある寛永年間(1624年~1643年)にできたといわれる墓地で「らいしょ墓」とも呼ばれている。 この来世墓地の中には等覚…
北国街道の宿場町!石畳の道に茅葺屋根の民家が残る『板取宿』 板取宿は江戸時代に北陸と近江を結ぶ北国街道の宿場町として栄えたところである。 戦国時代までの越前への陸路は山中峠を越える古道(万葉道)と木の芽峠を越える北陸道(…
日本で唯一現存している!江戸時代の重罪人が投獄された五箇山の『流刑小屋』 富山県の南砺市田向(五箇山)に保存されている流刑小屋は江戸時代に加賀藩の罪人が幽閉された小屋で『日本国内で唯一現存している流刑小屋』である。 五箇…